2025 07/22

「遥拝」

「遥拝」

天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出し月かも   
阿倍仲麿

小倉百人一首に選ばれている唯一の外国で詠まれた歌です。
遣唐使として唐の長安へ渡った仲麿さんが、日本へ帰る前に友人が開いてくれた送別会の席から見える月に、遥か故郷の三笠の山に登った月に思いを重ねた歌です。
しかし仲麿さんの乗った船は暴風により流され現在のベトナムに漂着。
長安に戻ったが日本帰国が叶わないまま亡くなったそうです。

それから1000年以上の時がたって西暦2000年代。
ある時の一時帰国、東京出発前に東から登る朝日を拝み、飛行機が離陸してからずっと太陽を追いかけるように西へ飛び続け、パリに到着した時には真っ赤な夕日になっていました。
まるで「お疲れさま」と言ってくれているような、あたたかな光でした。
お天道さまはいつも見てくれている。
大丈夫、私は大丈夫。
と理由もないとてつもなく大きな安心感に包まれたのでした。
仲麿さんの時代に比べてだいぶ地球が小さくなりましたが、 奈良時代も今も天体を見て物思う私たちはきっと変わらないのではないかと思います。

日本のことを思っていることを描きたいと心の隅でテーマをあたためていたところに仲麿さんの句を知り、程なくして「遥拝」という言葉と出会いました。
遠いところから神仏を拝むというこの言葉こそが畏れ多くも仲麿さんと私の経験を紐付けることができると喜びました。
そして取り止めもない散文をまとめるように制作していた小下図が、奇しくも人の手と鳥の翼と足と蝶の足が拝むようにひとところに集まっていることに気付き、「遥拝」というタイトルにすることを揺るがないものとなりました。